思いのページ

6.8 池田小にて

育友会会員の皆様へ

 

 池田小事件。この5文字だけで、充分すぎるほどに蘇ってくる当時の記憶。2001年6月8日という日の事件だが、でもそれはあくまでも画面を通じ、紙面を通じてのニュースとして受け、18年間をそのまま過ぎてしまっていた。

 今年2019年の6月8日、縁があって池田小に行き、追悼をすることができた。事件後に小中高共用となった新しい正門、警備員が複数名滞在しているその正門から敷地に入った途端、当時ニュースで幾度となく見た運動場が目に飛び込んできた。そして、この事件、場所や思いを、自分自身の目と耳で受けてくることができた。犯人はもうこの世にいないが、何年経っても事件そのものは決して消えることはない。亡くなった、傷を負った事実は決して消えることはない。亡くなった8人の子供達、けがをした子供達、心を大きく傷つけられた子供達、先生方の思い、などを伝えていた報道が、否応なしに、衝撃のように脳内を覆いつくした。校舎内に入り、事件現場に立ち会うと、そこはすでにミーティングルームや和室に(あえて)替わっていたけれども、一枚の、安全を願う思いを込めた文面のプレートに、8人からの思いやこれからの願いが、心の底辺まで染みるように、どっしりと伝わってきた。また、学校側が、安全に対して真摯に、継続して取り組まれていることにも、深く感銘を覚えた。

 今年、令和元年を迎えて間もない5月28日に川崎殺傷事件が発生し、2人が犠牲、18人がけが、さらに多くの人が心のケガを負った。川崎殺傷事件だけではない。時は流れても、場所は違えども、こうした無差別な事件、子どもたちが犠牲になる不幸な事件は消えていない。私たちが完璧な安全を確保することは難しいかもしれないが、少なくとも現況について、より安全を高める工夫ができるはず。大切なバトンを渡され、受け取ったのだ。

 

令和元年6月8日

金沢市南小立野小学校育友会会長 南野弘一

 


4.11 熊本地震の日に思うこと

育友会会員の皆様へ

 

育友会会長の南野です。

晴れ渡った4月11日、やわらかい春の風がこの日本のあちらこちらで撫でていっています。春の訪れを、この風や満開の桜とともに感じながら、私たちは今日いちにちを過ごしています。

遠く、でも同じ日本の熊本の地では、落ちつかない夜を、特別すぎる夜を、1年間も続けています。

1年前の今日の夜。震度7が熊本を襲いました。それから1週間以上も、余震というには大きすぎる地震が繰り返し襲います。熊本も、大分も、繰り返し。

何年か前に、熊本から金沢に越してきている友人から連絡がありました。テレビではもうどの局も、熊本を映し、コメンテーターが何か話しています。阪神大震災の時も、東日本大震災の時も、同じトーンで何か話しています。被災の時に取る方法云々。

でも、友人は切実でした。故郷に連絡をとる術(すべ)がない、と。熊本城の一部崩壊はテレビで判っても、家族と連絡をとる術が、ないのです。

ただ、趣味で長距離で交信をするアマチュア無線を行っている人だ、と聞き、急いで長距離中継局の履歴を確認しました。電気が来ているのか、無線機を使っているのか、違う地域にいるのか、それとも、、、。

その日は交信履歴はありませんでした。確認する日が何日か続きましたが、ようやく家族から連絡があったそうです。無事でなにより、という言葉を生まれて一番重く感じた、と。

ただ、地域のほとんどが被災しており、1年経った今でも、元どおりにはまだまだならないようです。他人行儀な言葉より、いまわたしたちができること。見舞金を送ることでもいい、現地に行って目で感じながら手伝うことでもいい。被災した地や時を胸に思いながら、毎日を生きることでも、いい。

熊本地震では、1名以上、225名の方が亡くなられました。天災、事故、病気、、、。ひとは、望みもしないのに突然、いなくなってしまいます。でも、生きているあなたは、辛い思いをしながら命を賭けて産んでくれた、命のバトンを繋いでくれた両親に、感謝することができます。

その感謝の気持ちは必ず、あなた自身にも、周りにも、家族にも、かけがえのないあなたの子供にも、しあわせな温かさを伝えます。

いちにちの終わりに、両親やかけがえのない子供、家族、そして今日いちにちを頑張った自分自身を鏡に映して、一言「ありがとう」とつぶやいてみてください。いまを感謝しながら生きること、これも被災された方々へ、わたしたちができることだと思います。

2017年4月14日

遠くて近い熊本の地を思いながら


3.11 東日本大震災の日に思うこと

育友会会員の皆様へ

 

今日いちにちの片づけをして、お風呂に入り、就寝する。疲れが、眠る直前の瞬間に畳みかけるようにしてあふれ出てくる。いつのまにか眠り、夢の中を通り過ぎ、朝、目が覚める。無理に肩を張る必要もなく、そっと優しさを含みながら、朝がやってくる。本当はとても重いのだけれど、繰り返されるように毎日、朝はそっと、やってくる。だからなおさら、この朝の瞬間に、いつも感謝する。毎日に慣れてしまうけれど、とても幸せなことだから。この繰り返しが、実はとても幸せだから。

 6年前の今日。ここ日本の沖の、たった70kmしか離れていない震源の大きな地震から、すべてが始まってしまった。震度7、広範囲での地盤沈下、10mの津波、原発事故、放射能漏れ・・・。一人ひとりの、かけがえのない命が、これほど様々に、そして次々と、奪われていった。経験豊富な年配の方も、生まれたばかりの赤ちゃんも、避難したはずの生徒たちも先生も大人も子供も動物も花もみんなすべてが、そこにいた、ただそれだけのくくりで、町ごとみんな、命も身体も、なくなってしまった。

ここ金沢にいたことで、確かにその被害には遭いませんでした。しかし、情報が矢継ぎ早に伝えられるたび、心を削られます。いま私たちができることは何でしょうか。いま私たちがさせてもらえることは何でしょうか。災害に備えながらも、分け隔てなく平等に朝がやってくる毎日を、大切に、充分に生きることだと思います。

3月11日。犠牲になられた方々に追悼の意を表しますとともに、皆様の今日がすこやかに参りますように。

 

平成29年3月11日

南小立野小学校育友会会長 南野弘一


1.17 阪神大震災の日に思うこと

育友会会員の皆様へ

 

22年前の今日、阪神・淡路大震災が発生しました。夜明け前の5時47分にマグニチュード7を超える規模の恐ろしさは、画面からの速報が途切れず、そしてだんだんと空が明るくなってくるとともに、わずか一瞬、たった一瞬の、その事の甚大さが伝えられてきました。画面の向こうは、確かにこの日本での、広域な大災害でした。驚きと嘆き、悲しみ、そして、今何ができるかという自問、様々な感情が錯綜したことを、あの時からはっきりと覚えています。芦屋の親友も、西宮の親戚も、被害に遭ったことも安否も、何日かが経たないと判りませんでした。

この災害の後、日本全体の自然災害に対する意識が大きく変わり、法整備や様々な団体が作られてきました。こういった仕組みももちろん大切ですが、被害に遭わなかった私たちも、弔いの気持ちのほか、教訓のような、戒めのような感情を、この1月17日に改めて思うことが大切だと思います。今朝、お子様を温かく送り出したご家庭もあり、口喧嘩から始まってしまったご家庭もあり、様々な家庭環境があろうかと存じますが、必ずやってくる「毎日」を、日日是好日と考えて一日をスタートさせることも、弔いになろうかと思います。

犠牲になられた方々に追悼の意を表しますとともに、皆様の毎日がすこやかに参りますように。

 

平成29年1月17日

南小立野小学校育友会会長 南野弘一